活路は様々

私が中学生の時、通っていた中学校のバレーボール部員が足りなくなって、廃部になりそうになった。

体育の先生が事態を解決するためにバレーボール部・顧問になり、

他の運動部でレギュラーになれなかった2選手に対して「入部してくれたらレギュラーにする」という条件で、部員をスカウトして集め、かろうじてバレーボール部は人の部員を確保できて廃部の危機は逃れられた。

集められた部員たちは、自分たちに続く部員を獲得するために知恵を絞った。

当時、大学や高校の運動部で「しごき事件」が続発してマスコミをにぎやかしていた。

誰だってしごかれたくはない。ここのところに目を付けて…

「バレーボール部では“しごき”はないらしい、先輩が後輩に暴力を振るわないらしい。暴力をふるった部員は即刻退部になるらしい。」と「うわさ」を流した。

あっという間に新入部員が増えて、バレーボール部は大所帯になった。

作戦が成功して、廃部の危機を乗り切った。

そうこうするうちに年生のエースアタッカーが下級生を殴ってしまった。

結末は?… いとも簡単にエースアタッカーは 自ら、即日退部した。

エースアタッカーがいなくなってしまったチームは,

体育の先生の合理的な指導のおかげで、

翌年の「中体連」で県大会で優勝してしまった。

その後、バレーボール部は県下でも有数の強豪校になった。

1960年頃の佐世保市立清水中学校の話です。